目的を偽り猫を譲り受け、それを虐待殺傷したことについて、詐欺罪と愛護動物殺傷罪の成立が認められた事例
こんにちは!寝起きです。
これはョョョねこAdvent Calender2020の24日目の記事です。
adventar.org
気付けばこれがョョョAdC3本目の記事となっております。執筆がたてこみ課題もたてこみ、この記事が上がるころには死んだ目をしていることと思います(AdCの枠をとったのはほかでもないお前自身だろ定期)
今回は今までの2記事と(そしてほかのョョョAdC記事の多くと)異なり、社会科学ネタを書くことにします(お前専門何だっけ?)。具体的には、横浜地方裁判所川崎支部判決平成24年5月23日判時2156号144頁の判例評釈もどきみたいなことをしていこうと思います。
ョョョねこ要素というかねこ要素はあります。
事案の概要
背景
被告人は平成23年5月ごろより野良猫保護団体等から「里親」として猫を引取るようになったものの、次第に自身のストレス発散のために猫を虐待・殺傷するようになり、同年7月ごろからは専ら虐待する目的で猫を譲り受け、それを虐待・殺傷するようになった。
被疑事実
①被告人は平成23年10月27日から同年11月6日にわたって、合計3回・計5匹の猫に関して、猫の里親を探していた者らから、実際はそれを飼養するのではなく虐待・殺傷する意図であるのに、猫を飼養する旨同人らに述べ、内2件では飼養に責任を負う旨の誓約書に署名するなどして、猫を飼養するつもりであると装いまたそうであると同人らに誤信させ、猫を譲り受けた。②また、そうして譲り受けた猫らを同月1日から7日に渡り、諸々の方法で虐待・殺傷した。
裁判所の判断
①・②ともに有罪(確定)。なお、犯罪の成否についての議論はなく、量刑判断について述べたにとどまる。
問題と検討
本件は虐待・殺傷の意図を秘して、それによる誤信を基礎とし猫を譲り受けた点について詐欺罪の成立を、またそれにより譲り受けた猫を虐待・殺傷した点についていわゆる愛護動物殺傷罪(動物愛護法44条1項)の成立を認めた事例である。
本件について、少なくとも被疑事実②が愛護動物殺傷罪の構成要件に該当することについては争いはないが、しかし被疑事実①について詐欺罪が成立するかどうかについては検討を要すると思われる。以下、個別の問題点について議論していく。
詐欺罪の成否-客体は保護の対象か
まず第一に、刑法246条には「人を欺いて財物を交付させた者」とあるが、本件の猫が保護対象である「財物」にあたるか。
246条にいう「財物」は交付元の人物の存在を前提とすること、また246条を対象とする251条は242条を準用していることから、「財物」は他人の財物であることを要求する。つまり、無主物は詐欺罪の客体たりえない。
本件に関する判例評釈の一つはこの点について、野良猫は無主物であり、ゆえに「所有者のない動産」(民法239条)である以上、保護した者が「所有の意思をもって占有」(同条)しない限り所有権の取得はなく、そのため本件について野良猫は詐欺罪の客体となりえない*1という。
財産犯による法益保護というのは財産に関する権利利益の実質化に根拠づけられる。それは、財産犯の「財物」に対して、被害者が所有者である必要があるのか、占有者で足りるのかについて議論が交わされる状況から明らかで、ゆえに少なくとも所有権(本権)の対象となっている物であれば当然に刑法上の保護対象となっているものと考えられる。
翻って本件を検討すれば、野良猫ははじめ無主物であろうが、保護者(本件の被害者あるいは被害者より以前に野良猫を拾い、それを被害者に譲渡した第三者)によって拾われた時点で所有権は発生しているであろう。
前述した批判的な評釈はこの保護者に「所有の意思」を認めることはできないという。しかし、判例*2はその「所有の意思」(民法186条1項)について「占有における所有の意思の有無は、占有取得の原因たる事実によって外形的客観的に定められるべき」とし、これが否定される場合について「占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を取得した事実が証明されるか、又は占有者が占有中、真の所有者であれば通常はとらない態度を示し、若しくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかつたなど、外形的客観的にみて占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかつたものと解される事情が証明されるときは、占有者の内心の意思のいかんを問わず、その所有の意思を否定し、時効による所有権取得の主張を排斥しなければならない」*3と述べるから、これを踏まえれば、保護者は猫をゆくゆくは譲渡する目的である程度の期間自身の元においていて、保護者はたとえばそれが何かの形で奪取されようものならそれを阻止しようとしただろうし、本件においても被告人が虐待目的で猫の譲渡の申込をしてきたことがわかっていたならそれを拒否しただろう(いわゆる重要事項性とも関連する。逆に、虐待目的での申込とわかっていながら拒否しないのであれば、重要事項性を欠き詐欺罪の成立は否定されるべきである。)ことは、被害者が誓約書の用意をしていることなどから推し量ることができるが、これは明らかに「他人の所有権を排斥」している様子であるといえるから、所有の意思を認め、それにより無主物先占による所有権の発生まで認めてよい。
詐欺罪の成否-財産的損害の有無
本件で被害者が被った「財産的損害」とは何だととらえるべきか。既出判例評釈の立場は論者により異なる。
まず、批判的論者*4は量刑理由中にある「精神的苦痛」、すなわち動物虐待に対する精神的苦痛こそが損害であり、それは②の事実、つまり動物愛護法の領域なので、詐欺罪による保護対象ではないという(「『動物虐待に対する精神的苦痛』である場合には」と述べるので、筆者自身は猫そのものを財産的損害と解することは否定していないと思われる)。このような「精神的苦痛」を損害と解する見解について他の判例評釈は概ね否定的*5*6であり、また私見としても支持できない。もっとも、筆者自身はその著書で詐欺罪の保護法益を「誤った情報を与えられて財産の処分をさせられない権利」*7とする説に立っており、その見解に立てばむしろ精神的苦痛を損害と解釈することについて親和的であるように思われる。
問題として浮上するのは、本件においては被告人から被害者に対する反対給付のない譲渡だが、これはたとえば猫を引き受けたのち、きちんと養育したとしても、財産の移動という意味では虐待・殺傷した場合となんらかわりなく、どの点について被害者に損害があったかといえるかである(なお、判例*8はこのような一方的給付の場合も詐欺罪の成立を認める。)。
まず、典型的な詐欺罪のケースと比較を試みる。典型的詐欺の場合、何かしらの欺罔(たとえば返済するつもりがないのに、3か月後の返済を約するとの申告をする)により被欺罔者に誤信(たとえば、申告通り3か月後に返済されるだろうという誤信)を生じさせ、被欺罔者による交付行為(たとえば、金500万円の貸付)が行われ、そこで財産的損害が生じていることを認める、といった流れを踏むことになる。ここでいう反対給付とは3か月後における500万円の弁済、ということになろう。
本件とこのフローチャートを比べたとき、「3か月後における500万円の弁済」は何に相当するかというと、猫を大切に養育する義務の履行、が相当するように思われる。しかし、この義務はかりに民事法上の拘束力があったとしても、それそのものを刑事的に保障するには、非物質的な権利義務関係を対象とする以上2項犯罪の適用を検討する必要があるだろう。つまり、本件においては、生じた財産的損害と反対給付が同質ではない。このような場合は詐欺罪の構成要件のうえでどう評価されるべきか。
財産的損害に関する諸学説についてはさまざまあるが、本件に関する判例評釈には実質的個別財産説*9、形式的個別財産説*10に立つものがあり、いずれも損害を肯定する。また実質的個別財産説からのアプローチを試みた論者からは「財物性においては物の価値とは主観的価値を含みうるし、およそ愛情価値しかないものであっても財物性はもとより、その喪失には財産的存在が肯定されうることは財産的損害を要求する論者からも確認されている」*11との重要な指摘がある。この「財産的損害を要求する論者」として筆者は林幹人氏をあげており、林氏は全体財産説論者*12*13*14であるから、筆者の主張の一貫性については注意を要するが、財産的損害に物質的なものではない、価値などを観念しえる可能性については議論の必要がある。
まず、詐欺罪は財産犯として何を保護しているか。先述した「誤った情報を与えられて財産の処分をさせられない権利」とする見解もあるが、大多数は他の財産犯と同様に物そのもの*15あるいは物の所有・占有*16と解するし、私見もこれを支持する*17。詐欺罪が具体的な物の所有等を保護する以上、それにより防御が試みられる損害はそれと同質である必要があろう。ゆえに、財産的損害として、価値そのものを評価対象とする見解は支持できない。必ず、損害として評価されるものは1項犯罪においては物であるべきである。
もっとも、この制限は反対給付に及ぶわけではない。財産的損害の議論は、詐欺罪が何を目指して置かれた規定かを解釈したに過ぎない。そして、詐欺罪において他の財産犯と異なる本質的な点は、被欺罔者が本来意図していた物の授受ではなかった、というポイントにある。何も考えずに物を交付しているのであれば、詐欺罪を観念する必要はない。なぜなら、欺罔行為によって誤信に陥る対象がないからである。「こんなやつには交付しない」という条件付けが交付者の中でできてはじめて、交付行為に対して詐欺罪の検討余地が生じることになる。逆に言えば、詐欺罪を検討しうるような取引においては「交付相手は~~である」という条件がはたらき、交付を受ける側はそれに従う(あるいは、そうである)ことが要求され、それが反対給付類似の性格を帯びることになる。別にこれは違和感のある議論ではない。先述した500万円の消費貸借に関しては、借りた側が500万円の返済義務を負ってそれを反故にしたということになる(500万円の債権そのものではないことに注意せよ)が、この事例を詐欺の典型例として認めた段階で、詐欺罪が想定する反対給付に物質的ではない、義務を観念し得ることも認めていることになる。本件との違いは、その反対給付の義務が金銭の債権債務関係だったかでしかない。本件はただの交付行為をしているように見えて、(民事法上はそうでなくとも)実際は猫を大切に養育する義務を反対給付として刑事法上は解釈されるべきである。そして、反対給付が正しく(=意図した通り)になされなかった、「反対給付の瑕疵」*18*19があるのであれば、その給付(反対給付に対する、交付者側からの給付)そのものが財産的損害と解釈されるべき*20*21*22である。本見解のメリットは、詐欺罪が多くの場合に経済取引の外形を持つ*23ことから、その外形を例外的に持たないものについても必ず反対給付を観念し、典型的類型に引き付けて考えることで、画一的な基準を導入できる点にある(類似の見解にいわゆる目的不達成論・法益関係的錯誤説*24がある。本見解と目的不達成論との違いは財産の保護理由が交換経済に求められるか否かであるが、本件判決と本質的に同じである寄付金詐欺について目的不達成論からも詐欺罪の成立を認める*25ので、結論は変わらない。目的不達成論を支持している可能性のある裁判例として、規定では一部を地方自治体が負担することになっていたがそれを私人が負担し、その事実を秘して残余部分について国庫より補助金を受け取ったことについて詐欺罪の成立を否定した事例がある*26。)。
以上のことをまとめれば、本件においては、猫を大切に養育する義務を反故にしたことをもって反対給付の瑕疵を認め、そこからただちに、猫を財産的損害とする構成をみとめてよいであろう。
なお、この点についていくつかの論考は、愛情価値そのものや、猫の養育等に関する期待価値を財産的損害と評価してよい*27*28、というが、これらが単体で財産的損害として評価され、肯定されるのではなく、本来は取引に供された物そのものが財産的損害を構成するが、その付加価値として(たとえば、有名な芸術家の作品である、と同じレベルで)評価されるにすぎず*29、財産的損害の有無という点には影響しないというべきでである。
詐欺罪の成否-不法領得の意思
財産犯は、ただそのものの占有を侵すだけでなく、いわゆる不法領得の意思を要求するのが判例*30・通説である。その判例によれば不法領得の意思とは「權利者ヲ排除シテ他人ノ物ヲ自己ノ所有物トシテ其經濟的用方ニ從ヒ之ヲ利用若クハ處分スルノ意思」を指し、権利者排除意思と利用処分意思の2つからなる。不法領得の意思の有無は構成要件にない、いわゆる主観的超過要素であるが、権利者排除意思の有無は窃盗と一時使用、利用処分意思の有無は侵奪罪と毀棄・隠匿罪の区別を決定*31する、重要な要素と認識されている。
本件においては、被告人は猫を入手したのち、それをただ虐待・殺傷している。猫ではなく、もっと無生物が問題であれば、それをただ破壊したことになる。このような場合には毀棄罪と実質的には変わらず、侵奪罪に問擬することはできないのではないか。
この点については判例評釈の一つ*32が詳細に分析を試みている。まず、この分析を概観することにする。
本件の検討として、猫の虐待・殺傷によって被告人はストレス発散という効果を得たから、奪取した物の破壊によって何らかの効用を得ることを目的に、何らかの財産犯に及んだ事例を検討している。まず、その奪取物の利用目的について、判例は本来的利用*33、また経済的利用*34についていずれも成立を肯定しており、また下級審ではそれを離れた目的での利用意思についても不法領得の意思を認めたものがある*35。しかし、判例も無制約にそれを認めるわけではなく、名宛人が支払督促に対する異議申し立てなどを行う機会を奪いその財産を差し押さえる目的で、支払督促正本を名宛人に代わって受取りただちに破棄した事例*36において、「廃棄するだけで外に何らかの用途に利用,処分する意思がなかった場合には,支払督促正本等に対する不法領得の意思を認めることはできない」と、不法領得の意思を否定した。
そのほか下級審の裁判例を個別に分析し、筆者は結局、毀棄・隠匿によって物そのものの持つ効用を利用しようとする場合はおおむね不法領得の意思を肯定する傾向を認めつつ、しかしその場合、精神的効用を得るために毀棄罪に及ぶ場合を区別することができないとする。また、このような動物を虐待することで精神的効用を得るという目的は刑法が倫理的規範としての機能を持つ以上、不法領得の意思の基礎として認めることはできないと主張する。
以上の分析について検討すると、精神的効用を得る目的での毀棄行為は、侵奪罪のみならず毀棄罪でも生じうるという点については認められるが、筆者のいうような区別不能性については、解決可能であると考える。侵奪罪の共通・本質的特徴は、それが原占有者の意図しない占有移転が生じることであった。しかし、不法領得の意思の規定はそれに直接しぼりをかけ、より違法性の強い(あるいは強い非難に値する)ケースを選択的に選び出すものと考えられよう。そこで物の奪取目的が検討されるのは、物を何かしらの形で利用し、効用を得ることが本来の権利者のみが可能であるからこそ、それを客観的テストの1つとして検討しているにすぎない。本件にひきつけるわけではないが、たとえば物を破壊してストレス発散を試みる行為というのは、通常であれば持ち主でなければできない行為であろう。一方、そのほかに目的がなく、効用を得るつもりもなく、ただ破壊する行為というのは、そこから(まわりまわって利益があるとしても)物から何かの効用を得るわけではない以上、本来の権利者の「利用」として考えられる使用方法ではない(もちろん、通常の権利者であっても物を廃棄するために破壊することはあろうが、それは「利用」ではない)。検討する順番は、占有の有無が先で、使用目的が後に立つのだから、侵奪罪と毀棄隠匿罪の区別は問題なく行えるように思われる。先述の分析は、不法領得の意思の検討目的が本来の検討要請より前に出てしまっているように見える。
また、分析は刑法が動物の虐待をストレス発散の手段としてありえると認めることは許されないというが、刑法はたとえば物の奪取の目的で人を殺害することがありえると認めているのだから、妥当しない批判と思われる。
動物愛護法違反との関係
本来、侵奪罪で得た物の毀棄・隠匿行為は侵奪罪の不可罰的(共罰的)事後行為として評価されるが、本件においては詐欺罪と愛護動物殺傷罪との併合罪となっている。
愛護動物殺傷罪の保護法益については争いがある。これを「動物愛護の良俗」という社会的法益とする論者は動物愛護法1条の目的を根拠とし、動物の直接的保護はその社会的法益保護による反射効である*37と主張する。一方、動物の身体・生命そのものが法益主体であると解する論者は、たとえば殺人罪の規定の存在は社会倫理規範維持の機能をもつものの、殺人罪の保護法益は生命であり、社会倫理秩序そのものではないということ、目的で規定されている事項の実現は、保護規定をおいたことによる副次的効果にほかならない*38として、社会的法益説を批判する。
社会的法益説に立った場合、本罪は詐欺罪と全く別の保護法益を保護していることになるから、詐欺罪と別に愛護動物殺傷罪の成立を認め、両者を併合罪の関係として処理するのが妥当なのは当然であろう。では、愛護動物殺傷罪の保護法益が動物の身体・生命であった場合、被疑事実②については不可罰的(共罰的)事後行為と解釈される余地はないか。
財産侵奪罪による侵奪財物の破壊を器物損壊罪とせず不可罰的(共罰的)事後行為とするのは、それらがいずれも同じ財物に対する所有権等侵害であるから、同一法益の二重評価となることを避けるためである(裁判例をみると解釈にゆれがある。ここで述べた同一法益の二重評価か否かを基準とする見解*39のほか、先行する侵奪行為により所有権等が制限を受けた程度と後行する毀棄・隠匿行為により所有権等が制限を受けた程度を比較し、後者が前者を超えるときにはなお器物損壊罪の成立を認めた*40ものがある。ただし後者の裁判例は、先行行為について不法領得の意思を認めず窃盗罪の成立を否定した点に注意が必要である。)。本件においては、被疑事実①について詐欺罪にて評価された損害というのは猫5匹の所有であり、被疑事実②に愛護動物殺傷罪を適用する場合の保護法益である猫の生命・身体そのものとは全く異なる。保護法益を動物の身体・生命と解釈する論者も、併合罪として処理した本件判決を支持している。*41そのため、愛護動物殺傷罪の保護法益についていずれの立場に立とうと、結論は変わらない。
おわりに
以上の検討より、本件判決は処罰可能性について、判断こそ示していないものの、おおむね妥当な結論を導いているように思われる。もっとも、量刑の理由のみの判示にとどまっているため、処罰可能性が妥当かどうかの判断が裁判所の側で正しく行われたかどうかは判断し得ない。財産的損害の解釈によっては詐欺罪の成立を否定することも可能であるように思われるので、裁判所の立場にはなお一層の検討を要する。
*2:最高裁判所第一小法廷判決昭和45年6月18日判時600号83頁
*3:最高裁判所第一小法廷判決昭和58年3月24日民集38巻2号375頁
*4:注釈1に同じ
*5:三上正隆「判批」愛知学院大学論叢法学研究54巻3=4号117頁以下
*6:冨川雅満「判批」法律新報120巻3=4号543頁以下
*9:注釈6に同じ
*10:注釈5に同じ
*11:注釈6に同じ
*12:林幹人『刑法各論』[第2版](2007年)143頁
*13:他の全体財産説論者として、たとえば安里全勝「判批」斉藤靜敬古稀「刑事法学の現代的展開」(2005年)339頁以下
*14:全体財産説と個別財産説の違いがあいまいであるという主張につき田山聡美「詐欺罪における財産的損害」曽根威彦・田口守一古稀『曽根威彦先生田口守一先生古稀祝賀論文集[下巻]』(2014年)151頁以下。また林氏自身も注釈12著書143頁、および「欺罔行為について-最高裁平成26年3月28日決定を契機として」『西田典之先生献呈論文集』(2017年)347頁以下で実質的個別財産説との同一性を指摘する。
*15:たとえば大谷實『刑法講義各論』[新版第4版](2013年)258頁
*16:たとえば井田良『講義刑法学・各論』(2016年)256頁
*17:第一次的には財産や財産権を保護法益としつつ、第二次的、あるいは副次的な保護法益として取引の信義誠実を上げる論者もいる。佐久間修『刑法各論』[第2版](2012年)212 頁参照。
*18:注釈16に同じ 273頁
*19:井田良「詐欺罪における財産的損害について」法曹時報66巻11号2989頁以下
*20:注釈16に同じ 279頁
*21:注釈17に同じ
*22:伊藤渉「詐欺罪における財産的損害-その要否と限界」刑法雑誌42巻2号143頁以下
*23:藤木英雄『刑法講義 各論』(1976年)305頁
*26:奈良地方裁判所判決昭和38年6月27日下刑5巻5=6号589頁
*27:注釈6に同じ
*28:齋野彦弥「詐欺罪における損害の意義-経済的損害概念の再評価」『西田典之先生献呈論文集』(2017年)383頁以下
*29:注釈12に同じ 143頁
*30:大審院判決大正4年5月21日刑録21輯663頁[教育勅語事件]
*31:高橋直哉「判批」別冊ジュリスト251号61頁[刑法判例百選(第8版)II-31事件]
*32:注釈6に同じ
*33:最高裁判所第一小法廷判決昭和33年4月17日刑集12巻6号1079頁
*34:最高裁判所第二小法廷判決昭和35年9月9日刑集14巻11号1457頁
*36:最高裁判所第二小法廷決定平成16年11月30日刑集58巻8号1005頁
*37:三上正隆「動物の愛護及び管理に関する法律44条2項にいう「虐待」の意義」國士舘法學41号71頁
*38:清水晴生「動物愛護法上の犯罪」白鷗法学27巻1号(通巻55号)211頁以下
*39:東京高等裁判所判決昭和63年3月31日高刑速(昭63)号42頁
*40:大阪高等裁判所判決平成13年3月14日判時1760号149頁
*41:注釈38に同じ